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序論,1-3章

   8~9月沖縄にいたとき、里子から本(Screwtape Letters)を借り、東京にいる友人にそれを日本語で説明したいと思い、大ざっぱに訳してみました。翻訳ではありません。せめて内容でも伝えることができたらと、やってみたものです。里子は、それを見、他の人にも見せたらどうと、言ってくれました。自分の気持ちとしては、他の人に見せる様なものではありませんが、ためになるならと、思い、おかあさんに送ることにしました。訳した人間が、日本語学校で、短い一年間勉強したアメリカ人であることを覚えて、彼女の言葉の足りなさにもかかわらず、主から悟りが与えられるよう祈りながら読んでもらえるなら、大丈夫だと思います! この本は、エペソ6章にある霊的戦いを扱います。悪例の先輩から悪例の後輩への通信が記録されています。もちろん、これは全部想像上なものですが、面白いと思い、キリストの兵士が知っていれば役に立つと思います。ゆっくりインジョイしてくださいね。 序論 悪魔・悪霊についての2つの間違い:1)存在を全く認めない。2)信じ、異常な興味をもつ。 悪魔はうそつき。スクリューテープが言うことは真実であると限らない。かえって、その様に考える方が危ないでしょう。スクリューテープの手紙はあくまでも地獄の希望と規則であることを忘れてはならない。 1章 苦悩さん、(悪霊であるスクリューテープの家来) 敵と戦う時、効果的作戦は、議論ではなく、哲学ナドのものだと思います。実際か空想と考えるより、大体の人間はものごとを学問的・実用的・時代遅れ・現代的・慣習的と考えます。望んでいる物質的考えが真実であると説得しようとするより、この方が強くて勇敢であって、将来性があり、未来の哲学ではないかと語りかける方がよく効きます。 人間は純粋な霊ではないので、私たちと違って日常的に弱い者です。たとえば、ある日に、無神論者が本を読んでいるとき、敵に声をかけられました。あわてて、そのことと議論するより、私は人間の弱点を攻撃しました。腹がへった、昼食の時間だ。 このようなことを考えるのは、午後改めてすることにしようと、考えさせ、彼を道に連れ出しました。ここで我らの戦いに勝つことができたのです。新聞とかバスを見ると、彼はこう考えました。 「一人のとき、どんな変な思想にまどわされても、現実の世界に直面すると(もちろ...

4ー6章

  苦悩さん、 患者の職業と年齢によると軍隊にはいれると言うことは実に嬉しいことです。彼を将来のことで不安にいっぱいになるように自分の十字架であることを考えさせないで、代わりに、恐れることであることに目を向けさせるのです。現在の実際の苦難から目を引き離し、未来の苦難の恐れに目を留めさせて下さい。 重要な霊的原則がここで見えます。敵のことを考えるより、心の気持ち、敵に対しての態度に注目させることです。 彼の戦争に対しての態度についてーー憎しみをあまり期待しない方がいいでしょう。心の中ではドイツ人とか反対側に立つ者の象徴はあるかもしれませんが、憎しみをその象徴に投げ当て、実際ドイツ人の飛行機が撃ち落された場合、この人間は、ある程度あわれみを示すでしょうもっと強いものは、隣人に対しての憎しみを深く感じさせることです。ということは、日常生活で感じる憎しみが段々強くなり、心の中で想像する国に対してのあわれみがあさくなるからです。人間というっものは、このようにつくられています。 徳・敵の性質などを完全にふせぐことはできなくても、想像・知性だけで考えるのは、危なくないでしょう。敵のことを関心をもったりすることは、我々の父の家に行く妨げとならないからです。 苦悩さん、 我々の存在は、いまのところ、示されない方がいいでしょう。恐怖や魔術師は少なくなるかもしれませんが、一方、物資的考え・懐疑的考えを発達させることができます。また、生命のちから、すなわち、性の崇拝や精神分析学のある面を利用することもでると思います。人間が様々な「力」を信じ、「霊」の存在を否定するようになると我々の勝利は手に入ったようなものです。漫画などにでてくる悪魔のイメージを彼らのあたまに浮かばせ、それをしんじられなくなると、我々の質の存在も信じられなくなるでしょう。彼らを混乱させる、よくためされた効果的な方法です。 あなたの患者のことですが、敵の味方をしない限り、何の方向を向いてもいいのではないでしょうか。戦争の中ではなまぬるい態度・平安主義立場をとる者がいる場合、彼らをもっと深く眠らせるのが我々の務めであり、他の時代は、バランスをなくし、常派心が起こる場合、争いを熟する方法を使うのがいいでしょう。教会といっものも、もともとは敵のために始められたにもかかわらず、我々の目的を果たすのに動かすこともできます。コリ...

7-9章

  苦悩さん、 我々の存在は、いまのところ、示されない方がいいでしょう。恐怖や魔術師は少なくなるかもしれませんが、一方、物資的考え・懐疑的考えを発達させることができます。また、生命のちから、すなわち、性の崇拝や精神分析学のある面を利用することもでると思います。人間が様々な「力」を信じ、「霊」の存在を否定するようになると我々の勝利は手に入ったようなものです。漫画などにでてくる悪魔のイメージを彼らのあたまに浮かばせ、それをしんじられなくなると、我々の質の存在も信じられなくなるでしょう。彼らを混乱させる、よくためされた効果的な方法です。 あなたの患者のことですが、敵の味方をしない限り、何の方向を向いてもいいのではないでしょうか。戦争の中ではなまぬるい態度・平安主義立場をとる者がいる場合、彼らをもっと深く眠らせるのが我々の務めであり、他の時代は、バランスをなくし、常派心が起こる場合、争いを熟する方法を使うのがいいでしょう。教会といっものも、もともとは敵のために始められたにもかかわらず、我々の目的を果たすのに動かすこともできます。コリントの時代のパウロとアポロから英国の高教会派主義と低教会派主義まで見ることができました。団体の中にある愛情を発達させ、外のものに対してプライドを感じるようにすると、よい結果になります。 とにかく、あなたの患者をどの方向に動かしても、目的は同じことだと忘れないで下さい。宗教が目的であると感じさせ、戦争の中にある様々な運動に力を貸すように考えさせるのです。と言うことは、信仰がただの手段になり、世のものが実の目的になるからです。 スクリューテープ  苦悩さん、 あなたの患者が宗教的事柄から離れていることを期待していると手紙に書いてありましたが、波動の律を知らないのですか。人間というものは霊であり、動物でもあるので、永遠のことを考え、時間の中にも動きます。一生変わって行くものです。霊的事柄も、職業・友人・肉欲・精神も・全て波があり、主な原因は我々の働きの結果でなく、人間の構成の自然な動きなのです。敵は時々波の一番低い所で働き、優れた者を形造ります。 というのは、敵の目的と我々の目的は正反対と言える程違うからです。人間を獲物と考える彼らの意志を我々の意志に飲み込もうとするのですが、敵は違います。人間に対しての愛、奉仕の完全な自由をいうもの...

10ー12章

 苦悩さん あなたの患者のことをトリップトウイーズから聞きました。事務所に若い夫婦が来て、彼らは裕福・スマート・外面的・インテリ・あたまのいい懐疑的的な人であり、主流の文学の共産主義士 卒をもつものだと聞いています。これは利用できることです。又、患者の社会的・内的・知力的高慢も利用しなければなりません。このような人間関係に忠誠を向けさせ(表情て・笑顔・音声で始まる)、話すべき時に黙り、黙っているべきときに笑わせるのです。心の信仰は友人との会話の正反対であることに気が付いても、恥をかくことを恐れ、これを認めにくくなります。何かふりをするとふりをしているもののようになるということは問の原則です。あなたの患者も、この連中と同意するふりをしながら、実はj自分の思っていなかった不信・懐疑の態度が自分の立場になるでしょう。 いまの状態が誘惑であることになるべく長く気づかせないように努力して下さい。現代クリスチャン文学の中に世に対しての忠告は見えますが、空虚な娯楽・友人の遊び方・時間の価値についての昔の忠告は、ほとんど聞きません。慎み・正しさ・聖さというものは厳正主義とか古い考えとなづけられ軽視されています。 が、いつかは友達の真の性質がわかってくるでしょう。そのとき、3つの案があります。 1 彼らがいないときだけそれに気が付くように働いてください。彼らがいるときは全ての疑問を消えさせるのです。このように、一生2つの平行している歩みを続けさせるのです。 2 もっと面白い方法があります。2つの歩みが矛盾していることに気づきながら、それを楽しむということがあります。日曜、隣に祈っているはクリスチャンは、毎週世の中で会う人のことを理解していないことを思わせ、一方、優れた友人たちが神を軽蔑したりしてる間は、彼らには霊的世界を理解できないだろうと、思わせるのです。すなわち、実際は両方を売ら要りながら、少しも恥を感じるより、かえって、自分が完全な、バランスがよくとれた、複雑な存在であることを満足させるのです。 3 上記の2つの道がだめでも。あと一つ道が残っています。(良心を無視させることになりますが。)このような関係をもつことは不卒・厳正的であり、かれらに付き合ったりすることは、なんとなく、彼らのためになると、思わせるのです。 もちろん、この新しい関係のため、仕事・お母さんのことを少...

13-15章

苦悩さん、 人が悔い改めてしまったと聞きました。あなたは大変な失敗cをしました。最初の改心よりも大変なことになると思います。 あなたの患者が散歩しているとき、ある窒息させる雲に囲まれましたね。敵の最も強力な武器です。我々に知らない形で人と共にいるとき、この雲が現れ、ある物は常にこの雲に囲まれているので手のつけようがありません。 あなたの失敗についてですが。最初に、患者に本を読ませたこと。彼がそれを読み、友人に面白話をさせるためでなく、ただ楽しませるためでした。次に、彼が散歩をし、好きな所でくつろぐことも許しました。真の楽しみを許したのはいけませんでした。痛みも楽しみも現実を感じさせるのです。人を地獄に送ろうとするとき、事故哀れみや空想的苦難を妄想させ、実際の痛みから守らなければなりません。虫歯のたみだけでこれらの考えが、ばかげたことであるとすぐわかります。どうよう、世を通して人を地獄に送ろうとするとき、騒ぎ・皮肉・お金のかかる退屈などを面白く感じさせるのです。真の楽しみを感じたとき、空しい外見的イメージから離れ、我々に帰ったではありませんか。我々のいままでの骨折りは、全て水の泡になってしまいました。 敵も我々と同様人が自分を忘れることを願っていますが、目的は違います。心の真の楽しみを忘れさせるだけではありません。敵の目的はーー面白いですが、人間一人一人を実際愛して彼らの個性を大事に思っているのです。彼らが自分 の意志を引き渡す以外、個性的性格から離れることを願いません。一方、我々は、それを勧めなければなりません。なぜなら、人間の自然な性質の中に敵の方に向く心があるからです。人間の真の好み・願いの代わりに世の基準・流行・習慣などを目の前に置くのが我々の目標を発達させます。 この点は、極端にもちいてもいいと思います。どのような単純な楽しみでもかまいません。虫の鳴き声を聞くこと・切手を集めること・ココアを飲むこと・そのもの自体にとくがなくても、なんとなく、すなおな、謙遜な、我を忘れる態度があるので、信用できません。他人が、世に何を言われようと、楽しみたいものを楽しむ者は、我々の攻撃から守られているのです。本当に好きな人・食べ物・本より「いちばんいい」人・「正しい」食べ物「重要な」本を選ぶように勧めるのがいいでしょう。 いまの悲劇について我々はどのように反応できるでしょう。...

19-21章

苦悩さん、 私の手紙を誰にも見せていないでしょうね。人間が個人個人でありながら神の愛をいうものを表現することができると書きましたが、この敵の考えにだまされたということではありません。 敵が人間を本当に愛しているとは言いましたが、これはもちろん不可能なことです。彼はひとつの存在であり、彼らは別な者です。彼らの益になるものは、敵の益になるとは考えられません。我々の父(悪魔)は、このことで困ったのです。敵が人を造ったとき、自分の利益を考えていたに違いありませんが、このことについて、一言もいいませんでした。十字架とか愛とかのことしか話してくれませんでした。もちろん、これはみとめられなかったので、父は天国から出て(追い出されたという話もありますが)、この秘密を探ろうと今日まで努めています。我々の務めにもなっているのです。 人間が恋するのはいいことか、悪いことかと、聞きました。その答えとしてーーこのような質問を人間にさせるのです。会い、愛国心、独身生活、裁断の議論、絶対禁酒主義、教育の善し悪しのことは、人間に議論させるのがいいでしょう。」心の構えそのものは大切でありません。その向き方によって人を敵から離れさせ我々の方に向くように働くことが重要です。 例えば、人が細かいことに欲のある人だったら、このことを自分の清さと感じさせ、恋することを憎ませてください。敵が作った愛というものの器となる聖から全く離れさせるのです。 一方、人が感情的な者であったなら、詩人や諸説かを通して恋そのものが価値あるものだと思わせてください。この考えを通して悲劇的妥協をロマンチックに思わせて引き延ばせ、殺人、自殺などに終わらせるのです。 または、結婚は敵の発明したものにもかかわらず、我々の益にもなります。人を結婚させ、周りに魅力のある独身の人を幾人か置くのです。クリスチャン生活は非常に難しくなると思います。 健康・病気・老年・戦争・平和についてーー霊的見分けで評価すると、単なる材料なのです。 スクリューテープ   苦悩さん、 あなたの患者の貞節な構えを攻撃し、敵はこれを止めたということを聞きました。敵に止められることは確かだということを覚え、そういうことになる前にやめるべきでした。これを通してあなたの患者は、攻撃はいつまでも続かないと気が付いてしまったかもしれません。我々の最高な武器は、我々から逃げ...

22ー24章

  苦悩さん、 あなたの患者が恋してしまったと聞きました。 恐ろしいことに、彼女はただのクリスチャンじゃなく、大したクリスチャンです。全くいやな者です。外見的に聖い、純粋な女性に見えますが、二心な者だと思います。血を見るだけで気絶するように見えても、笑顔だけで溶けます。昔はコロシアムの獅子のえさにすることはできましたが、世は段々悪くなってきているので、残念ながら、今日はそういうことは許されません。敬虔に見えても、このように楽しみを嬉しく味わうこの女性を、敵はなぜころさないのでしょう。 敵は享楽主義者だと思います。聖さ、十字架、犠牲、断食などは、見せかけでしょう。「あなたの右の手には、楽しみがとこしえにあります。」と、聖書に書かれています。睡眠、遊戯、飲食、愛情、祈祷、仕事ーー人間の世界は自由な楽しみでいっぱいです。我々がこれらのことを曲げて初めて我々の利益となるのです。だからと言ってあなたの患者の恋で失敗したことがゆるされるということではありません。このことについては後で話します。 この女性の家族や近所・環境をよく知るように努めてください。なんとなく悪い雰囲気に囲まれています。家族も、週末遊びに行く人も、この不思議な薫りをもっています。愛というものを通して一人一人が相手を通して益を導いているように見えますが、 敵のように彼らはその裏にある秘密のことは話しません。天国のことを、ある著者は、「命だけに囲まれ、音楽でない音はなかった。」と、述べています。 ということで、音楽と静香のことについてですが、我々の父が地獄に下ったとき、この2つのものがないようにしましたメロディー。時間も空間もおとーーやかましい音で満たされるようにしました。天国のメロディーや静かは、おわりにこの音に飲み込まれることでしょう。暴力、こう慢、残酷の昔、いまはまたまた足りませんが、いつかは全てを包むようになるでしょう。 スクリューテープ 苦悩さん、 あなたの患者は、この女性の家族を通して他のクリスチャン、あたまのいいクリスチャンにも会うようになっています。彼の生活から霊的事柄を全く取り除くことは不可能だと見えます。そういうことで、我々はその霊的事柄を汚すことに努めなければなりません。光の御使いの原則はご存じですか。世的攻撃がだめなとき、この方法が効果的だと思います。だめになった生徒、偽善者、宗教...