19-21章

苦悩さん、

私の手紙を誰にも見せていないでしょうね。人間が個人個人でありながら神の愛をいうものを表現することができると書きましたが、この敵の考えにだまされたということではありません。

敵が人間を本当に愛しているとは言いましたが、これはもちろん不可能なことです。彼はひとつの存在であり、彼らは別な者です。彼らの益になるものは、敵の益になるとは考えられません。我々の父(悪魔)は、このことで困ったのです。敵が人を造ったとき、自分の利益を考えていたに違いありませんが、このことについて、一言もいいませんでした。十字架とか愛とかのことしか話してくれませんでした。もちろん、これはみとめられなかったので、父は天国から出て(追い出されたという話もありますが)、この秘密を探ろうと今日まで努めています。我々の務めにもなっているのです。

人間が恋するのはいいことか、悪いことかと、聞きました。その答えとしてーーこのような質問を人間にさせるのです。会い、愛国心、独身生活、裁断の議論、絶対禁酒主義、教育の善し悪しのことは、人間に議論させるのがいいでしょう。」心の構えそのものは大切でありません。その向き方によって人を敵から離れさせ我々の方に向くように働くことが重要です。

例えば、人が細かいことに欲のある人だったら、このことを自分の清さと感じさせ、恋することを憎ませてください。敵が作った愛というものの器となる聖から全く離れさせるのです。

一方、人が感情的な者であったなら、詩人や諸説かを通して恋そのものが価値あるものだと思わせてください。この考えを通して悲劇的妥協をロマンチックに思わせて引き延ばせ、殺人、自殺などに終わらせるのです。

または、結婚は敵の発明したものにもかかわらず、我々の益にもなります。人を結婚させ、周りに魅力のある独身の人を幾人か置くのです。クリスチャン生活は非常に難しくなると思います。

健康・病気・老年・戦争・平和についてーー霊的見分けで評価すると、単なる材料なのです。

スクリューテープ 

苦悩さん、

あなたの患者の貞節な構えを攻撃し、敵はこれを止めたということを聞きました。敵に止められることは確かだということを覚え、そういうことになる前にやめるべきでした。これを通してあなたの患者は、攻撃はいつまでも続かないと気が付いてしまったかもしれません。我々の最高な武器は、我々から逃げるには、誘惑に負けるしかないという考えです。これをもう少しで信じていたかもしれません。貞節な生活は不健康であるかもしれないと思わせてみていますか。

近所にいる若い女性のことを聞かせてください。あなたの患者の貞節な構えを攻撃するか、患者が我々の望むような結婚にはいらせるか考えてみたいからです。もちろん、肉的女性とこうすることを願っています。

我々の働きは世のうごきを見て明らかでしょう。最終的目的は霊的助け相手になるような人から目を引き離し、他のタイプに関心をもたせることです。

ある時代は貴族の美しさを強調し、男性のプライドをくすぐって高慢な女性・浪貴的な女性を魅力的に思わせ、他の時代は弱々しい女らしいタイプを選び、愚かさ・臆病・価値を見せかけ・弱い心に高い価値を与えました。

今日は、ワルツの時代が終わりジャズの時代になっているので女性のイメージはまた変わっています。男女の区別があまりないようなスタイルを紹介し、女性に年を取る恐れを教えました。外面的美しさを強調することを通してできたのです。見せかけの方法も利用しました。ファッションモデルは普通の・自然の女性よりスマートな体系で色々な服を宣伝させましたが、現代のひとはもっと自然的・健康てきになっていると思うのです。実際存在していないものに男性の目をひいているのです。セックスアピールも強調し、要求するものをますます不可能にしています。結果は、想像できるでしょう。

我々の作戦を大ざっぱに説明しました。あなたの患者については、2つのことを覚えていてください。心の中に2つの女性のタイプがあると思います。まずは、敵も好むような者--愛・従順・尊敬・自然を表現する女性。一方、結婚から引き離すような者ーー結婚するとしたら、彼女を奴隷・偶像・共犯者のように扱う女性。

悪の味ーー獣物性、悪だくみ、残酷ーーみにくいと思われるものでも、人の強迫観念の神経を触れることができます。売春婦・情婦はいちばん強い手ですが、あなたの患者がクリスチャンで愛のことを教え込まれているのなら、このような人と結婚させることもできます。姦淫・不道徳の罪に陥なくても、ほかの間接的方法を通して人が堕落することもあります。かえって、この方が効果的であり、結果の不幸はもっと長く続くでしょう。

スクリューテープ

苦悩さん、

道徳的攻撃と同時に人の理性を暗くすることを忘れないでください。

人間は不幸のみより不幸と権利を無視されることを怒ります。自分のものを取られる時こそかんしゃくを起こします。一日の24時間は自分のものであり、静かな晩くつろぎたいと思う時友達のうるさい奥さんが来たりしてスケジュールがメチャクチャになってしまいます。宗教的義務のために自分のものを献げると感じさせてください。

クリスチャンの時間はじぶんのものだというかんがえはもちろんばかげたことですが、この観念をあなたの患者の心に置いて下さい。敵が彼の前に現れ、一日でも完全に仕えることを要求したら、喜んで従うことでしょう。それが愚かものの話を聞いてあげるような難しいことであっても、その責任から離れさせられ、自分のしたいことを30分でもさせられたら、悲しむことでしょう。実際、彼は毎日この状態に置かされているのですが、とにかく、このことは考えさせないように。

自分のものという観念を勧めてください。地獄でも、天国でもこういうことは愚かに見えても、彼らをこのように考えさせるのがいいでしょう。自分の体・自分の健康・自分の家・自分の国と、考え続けさせてください。

「自分の」ということばに混乱させてください。「自分の神」を「自分のおもちゃ」のように他の人から取り戻したり、破ったり、投げ出したりする権威があると思ったら、神も自分の願う通り特別な働きを要求したり利用したりすることができると思うようになるでしょう。

事実、「自分の」と言えるのは、一人だけです。敵は全ての者を造ったうえ、「自分のもの」と、言えます。我々の父も全てを服従させ、「自分のもの」と、言えるようになるでしょう。

スクリューテープ 

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